1960年の映画を見ていたら、「定年までの残り13年で部長になれるかも」と考える42歳の課長が登場しました。定年より少し早い退職をプチFIREと呼ぶことがありますが、55歳で退職なら、このころは全員がプチFIREですよね⁉ 気になって定年の年齢の移り変わりを調べてみました。
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高度成長期の定年は55歳
映画は「黒い画集 あるサラリーマンの証言」(1960年)。松本清張の短編小説「証言」が原作で、東京・丸の内の企業で働く42歳の管財課長が、部下との不倫を隠そうと、殺人事件でうその証言をしたことがきっかけで窮地に陥ります。
これでもかというぐらいに不幸が襲い、96分があっという間です。松本清張というのは稀代のストーリーテラーだったのだと、改めて実感しました。
映画の本筋からは外れるのですが、私が気になったのは、主人公である42歳の管財課長が定年まで「13年もある」と独白し、部長への出世に意欲を見せていたことでした。
大学を卒業後の23歳で就職したとして、55歳定年なら32年間ですが、70歳なら47年間もあります。人にもよるでしょうが、ほぼ半世紀も飽きずに同じところで働き続けられるものでしょうか?
少し前には、新浪剛史・サントリーホールディングス社長の「45歳定年制」という発言に批判が相次ぎました。企業から一方的に「45歳で定年です」と言われると困る人が続出します。企業目線でのもの言いに反発を感じる人が多かったのは当然だと思います。
とはいえ、定年が70歳になれば、中間点の45歳あたりで別の仕事に就くとか、新たな事業や活動を始めるとか、大学に入り直すとか、いったんリセットしないとつらいのではないでしょうか。東大大学院の柳川範之教授は以前から「40歳でキャリアを見直そう」と唱えています。そうした趣旨であれば、新浪社長の発言も「まあ、そうだよな」とうなづけます。
60歳定年はいつから
定年は「高年齢者雇用安定法」という法律で決まっています。
この法律で60歳の定年が「努力義務」とされたのは1986年、60歳未満の定年が禁止されたのは1994年(施行は98年)のことです。「黒い画集」は努力義務になる以前の話で、当時は55歳定年が主流でした。
法律はその後も改正され、2012年(施行は13年)には希望者全員を65歳まで雇用するという原則が義務化されました。企業は①定年の65歳への延長②65歳までの継続雇用制度(再雇用、勤務延長など)を導入③定年制を廃止、のいずれかを講じればいいので、65歳定年とイコールではないのですが、定年延長に踏み切る企業も相次ぎました。
さらに、2020年(施行は21年)の改正では70歳までの就業機会の確保が努力義務になりました。
この改正では、①70歳までの定年引き上げ②定年制の廃止③70歳までの継続雇用制度(再雇用、勤務延長など)を導入④70歳まで継続的に業務委託契約を締結する制度の導入⑤70歳まで継続的に従事できる社会貢献事業などを導入、のいずれかを求めています。
かつては年金も55歳から
定年の延長に伴って、年金の受給開始年齢も引き上げられていきました。「黒い画集」の公開当時は、男性の厚生年金の受給開始が55歳から60歳に向けた引き上げが始まったばかりで、女性は55歳でした。
その後、男女ともに60歳になり、いまは65歳に向けた引き上げの最終段階にあります。平均余命の伸びを考えるとやむを得ない面はありますが、FIREのために必要な資金は増える一方です。
70歳定年が主流になるころには、75歳定年に向けた議論も本格化してくるでしょう。
多くの会社では役職定年が設けられ、55歳で肩書がリセットされます。60歳定年で5年だけなら我慢できても、70歳まで15年間、75歳までなら20年間となるとなかなかつらいものがあります。
現代の名工のように、70歳になっても75歳になっても超絶的な技巧でも若手をリードできるのならともかく、いわゆるフツーの会社員はいつまでも会社にすがるより、早い段階で新たな道に転身するほうが、人生を通した幸せの総量は増えるのではないでしょうか。
そうした意味では、FIREというのは、幸せを増やすムーブメントなのではないか。半世紀も前の白黒映画を見ながら、そんなことを考えたのでした。
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